株式会社 西浅
代表取締役社長 児玉 周
Profile
京都府出身。大学卒業後、人材派遣の会社に就職。数年後自分で立てた目標を達成したため退職。
その後兄に誘われ西浅に入社し、現在の社長を務める。会社の目標は「魚屋の社会的地位の向上」。「魚を食べる文化」を後世に伝える大切な仕事をしていることを魚屋業界内外で理解してもらい、「魚屋はすごい」と思ってもらえるようにすることがビジョン。
魚屋を拒んだ学生時代
西浅は祖父が創業し、渡しで3代目になります。3人兄弟の一番下で、実は魚が大嫌いだったので、全く継ぐ気がありませんでした。とにかく、親元を離れて一人暮らしをしたいという思いが一番でしたから、おしゃれな神戸の甲南大学の経営学部に入学しました。大学では、バスケットのサークルやアルバイトがメインでしたが、授業の中で「これは得るものがあるのではないか」と思うものにはしっかり取り組みました。それが経営学だったと記憶しています。
魚屋と向き合って
大学を卒業することは就職氷河期とも言われていたこともあって、大学卒業後半年間、就職浪人をしていました。ともかく働くということをしゃんと経験しようと思い、人材派遣の会社に就職しました。その会社での自分なりの目標を立て、達成できたので退職することにしました。西浅には、そのときに西浅に勤めていた兄に「事務を手伝ってくれ」と言われたのをきっかけに、次にやることも決まっていなかったのでアルバイト感覚で入社しました。
そんなふうに腰掛けのつもりで入社しましたので、すぐに辞めるつもりでした。ですが、仕事をしているうちに、魚をさばいている職人さんや社員さんたちの仕事がすごく興味深くて、面白いと思い始めました。ある時、社員の人たちに「なぜそこまで手間をかけているのか」と質問したところ、「このひと手間をかけないと、おいしくならないから」という答えが返ってきました。そのひと手間をかけなくてもおそらく販売することは出来ます。でも職人さんたちには「西浅で売る魚は絶対に美味しくないといけない」というプライドがあることがわかって以来、魚嫌いだった私が、魚を美味しく感じられるようになりました。ただ、魚がすごく好きというより、渡しは魚屋という仕事が好きだということに気付かせてもらいました。
社長になると決心した理由
当時、西浅の社員として働いていて、現状はうまく行っているけれども、この先のことを考えると業績が少し落ちていくのではないかという懸念がありました。会社をどうしていけばよいのかという経営方針についてはいろいろと考え自分の中で固まっていました。ただ私は三兄弟の一番下なので、どちらかというと兄についていけばどうにかなると思っているタイプでしたから、戦闘に立って何かをやるような積極的なタイプではなかったんです。しかし、当時の会社の中で周りを見渡した時、会社の経営はうまくはないが、一番問題意識を持っているのは自分だと思ったので、社長になることにしました。
就職活動は自分から行動すべき
魚を捌くことは数をこなせばできるようになります。ですから、西浅としては、目に見えている魚の調理だけでなく、見えないものでも見ようとし、それについて考えられるような人にぜひ入社してほしいと思っています。
大学生のみなさんにとっては、現在、いろんなところで企業側と学生側との接点ができており、社長と話せる機会も増えています。ですが、与えられている情報や機会に甘えてしまうと何もなりません。すごく憧れている会社や商品があったら、そこの会社に自分一人で飛び込んでみる。「これが好きだ」「ぜひ話を聞きたい」という思いをもって自分から飛び込んでいくことが大事です。「どうしたら話を聞けるか」を自分で考え行動してみるという経験が大切になってくるはずです。